三寺村

【三寺村】 みつでらむら 現在の三寺町

亀山城の南に位置し、田茂村の東に接する。中ノ川中流域の村で、この辺りから昼生谷は東方に向けて広くなる。
中世は昼生谷七郷に属する他の諸村と同様、関氏の関谷(せきだに)二四郷に含まれ、元和元年(1615)津藩、寛文9年(1669)以後は久居藩に属した〈宗国史)。
地形が開けていることもあって、昼生谷のなかでは下ノ庄村に次ぐ村高がある。
宝永2年(1705)以後、亀山宿の助郷村に加えられている(亀山地方郷土史)。庄屋は臼井家の世襲と伝える。
寛延期(1748-51)の家数122戸、ほかに郷士5人、人数515人、馬15頭、牛20頭(宗国史)。
神祠にに比々留神明祠(五鈴遺響)、寺院に三宝寺(浄上真宗本願寺派)・養覚寺(真宗大谷派)久道寺(天台宗、明治8年廃寺)がある。
明治22年(1889)の戸数125戸、人口629人、田畑97町余(「郡町村分合取調帖」三重県庁蔵)。石神社(祭神素戔嗚命(スサノオノミコト))に奉納する獅子舞の神事がある。

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