昼生の歴史文化

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【大山の神】(下庄町)

12月7日、山の神様は山へ上がられ山を守って下さいます。地元の人々は、朝早く大山の神の前で火を焚き、お神酒を供えます。
昔は、お参りに来た人たちは、持ち寄った餅をこの火で焼いて食べました。黒く焦げたところをぱっぱとはたいて食べると、風邪をひかないとか病気をしないとか言い伝えられていました。
 また、
「天筆 和合楽 知福円満楽 終止千年のみどり 山野神祭 山野神祭礼 高く上がれ上がれ」
このよな言葉を四つ切りの半紙を継ぎ合わせて書き、竹の先に結びつけ火の上にかざして、高く舞い上がらせました。これを見て子どもたちは、習字が上達するとか、賢くなるとかいって喜んだそうです。
お参りに来た人たちは、かまぼこ、ちくわなどをおつまみにお供えしたお酒をいただき、行事は一応終わります。
近年はだんだんとお参りする人も少なくなり、現在60代以上の人が子どもの頃は喜んで親について行ったそうですが、今は子どもはほとんどこないそうです。
2月7日には、山から下りられて田畑を守って下さる神様を迎える行事を行ないます。
 下庄地区では他にもいくつも山の神様が祀られていて、しれぞれの行事が伝えられています。
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【於々奈気神社】(中庄町)

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於々奈気神社は中の川右岸の水田に囲まれた林の中にあります。
中庄の氏神様で7月には祇園さん、12月には山の神の行事があります。

♢【大楠】( [昭和31年9月 市指定文化財]
境内にある大楠は幹周り約6メートルみあり、地上3メートルのところから分岐して天に向かって枝を伸ばしています。
昔から成長の遅い楠の大木を「次第に積み上げた手堅い財産家」にたとえています。
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【弘法寺の薬師如来像】 [昭和48年 市指定] (下庄町)

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弘法寺は弘法寺田または薬師田と呼ばれている寺領の田地が多く現存することから、往時は広大な寺域に七堂伽藍を備えた大寺院であったと思われます。
本尊薬師如来像は檜の一木造立像で、体調98cm 顔つきは慈愛に富み、全姿に気品があり鎌倉末期の作と鑑定されています。

♢【鰐口】ワニグチ [昭和48年市指定]
青銅製で直径45cm下部に開いた横長の大きい口です。寛文5年(1665年)のもので、当市に残っている鰐口中、最も古いものです。
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【石神社 獅子舞】[昭和31年 市指定](三寺町)

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昼生大明神石の原神社。一頭の獅子頭を社殿内に祀ってあり3年に一度獅子舞が奉納されます。伊勢神楽の系譜を引くもので、古くから行われてきました。「万治縁起(1658年頃)に奄芸郡松生社、3年に一度の大祭昼生より獅子舞出す」とあり、昭和16年頃まで松生神社で獅子を舞い納めていまして。
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【江神社】(エノ ジンジャ)

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祭神は高霳神(タカオカミ)ほか八神社が合祀されており、神殿は明神造りです。
江神社は延長5年(927年)の「延喜式」神名簿に登録されており、約一千年前にすでに下庄に鎮座する古社です。祭神は雨水の神様であって、農耕の神として五穀豊穣・無病息災を祈願して祀られました。
昔は近くに大きな沼があり龍神がいたと伝えられています。当時は天名川(中ノ川)が流れ、上流は闇淵と称して沼や森や田畑があり毎年出水のため浅瀬となりました。江の森辺りもいつとはなく平地となって、田畑を耕作する人々が集まり、集落ができ現在に至っています。
♢【棟札】(ムネフダ) [昭和46年 市指定]
当神社の「慶長18年(1613年) 9月27日 鈴大明神」棟札は長さ45cm・8cmで市内に残存する棟札の中で最も古いものです。

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